lapin noir

Diary | Photo | Sapporo

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 2階のカフェや喫茶店が好きだ。2階以上の窓がある場所なら何処でも居心地良くいられるのだけれど、ひとりだと時間つぶしに景色を眺められるのがいい。この日は用事を済ませた後に車で移動してカフェへ寄った。2階は一部吹き抜けになっており、テラスがあって1階より狭い。注文したのはブレンドコーヒーとシナモンロール。ひとりだったので迷わず2階へ上がった。なぜか去年あたりからシナモンロールに嵌っている。食べ物の好みは変わるもので、シナモンロールは嫌いだったのに急に美味しいと感じて食べられるようになった物のひとつだ。ざっと思い浮かぶだけでもサーモン、牡蠣、椎茸、アップルパイなどもそうで、今となっては大好物なのだ。あ、牡蠣はそこまででもなかった。正確に言えばアップルパイは食べられなくはないが好んで食べなかったというもので、リンゴはしんなりさせるよりシャキシャキした触感の方が好きだし、シナモンのスパイスは苦手だった。世間一般で美味と称される食材を口に出来ないなんて、生きていて相当損をしているので更に克服していきたい。次はマグロあたりを食べられるといいな。

 さて、振り返れば先月はやることが一杯で、気が付いたらあっという間に1か月過ぎた。初めての確定申告とやらも終わった。心配をよそに、いざ作業すると源泉徴収を貰っていたので大したことはなかった。数日前に会った友人とは相変わらず仕事の話になり、私はマイペースで変わりないものの情勢が悪いので軽く悩んでいる。

 情勢とはそう、ウクライナのことだ。既にロシアによるウクライナ侵攻は始まっており、そして第三次世界大戦かという話になっていく。戦争は無くならない。平和は続かない。願いは届かない。悲しいが何事も限りがあるのだと受け入れざるを得なかった。「もう世界は終わったな」と溜息も出るが、朝になって目が覚めて日常を見渡せば、世界は終わっていないのだと確認できる。ここのカフェで寛ぐ人たちも各々の時間を過ごしていて、隣の女性はアイスコーヒーを飲みながら分厚い単行本を読んでいた。何を読んでるのかな?とても気になる。私が間違って予約席に座り移動しようとすると、その女性は「いや、ここは1時間くらい誰も来ないので大丈夫だと思いますよ」と声をかけてくれた。「そうなんですねえ」と軽く返事をし、私はバックから詩集を取り出した。作家は同年代の女性で、身近な生活を題材とした軽やかなシリーズだ。
 私はこれまで命が1番大切だと思ってきた。勿論、それに変わりはない。けれどもこの侵略戦争で、平和を望んでいても大切なものを守るために命も厭わない闘いがあることを目の当たりにしている。当初はゲーム感覚の様に戦況を見たり、ウクライナへの武器供与にやれよと声を上げる人たちを全く理解できなかったが、専門家の話を聞いて概ね納得した。国際社会がロシアによる侵攻を止められなかった時点でウクライナにはあまり選択肢がなく、あったとしてもどれも最悪で、その中で決めたウクライナの選択を尊重する以外にないという。そして、武器供与もウクライナが望むなら理はあると。停戦できればいいが、今のところロシアは譲らない姿勢だ。たったひとりの独裁者の暴挙を世界の誰もが止められないなんて情けなさ過ぎる。がんばれ人類よ。SNSで流れるタイムラインは2022年現在とは思えず、時代に逆行しているようだ。「NATOのことは信用してません。戦争していると日本の友達に言っても誰も信じてくれなかった。自由を奪われる位なら死んだ方がましです。もう覚悟は出来ているんです。」オンラインでキエフに住むウクライナ人の男性が話していた。私はシナモンロールをかじりつき、固まった砂糖を口の中で砕いてコーヒーと一緒に飲み込んだ。

 そういえば今年に入って前の同僚が私にこう呟いたことがあった。何やら私は自信があるように見えるらしく「反対に自分は情けない」と。仕事でかなり参っていたので、ぼやいたんだろうと思う。まあ、必要以上にぺこぺこするのは嫌いだし、他人の目に自分がそう映るのも分からなくはない。ただ単に割り切りがいいだけじゃないかと思う。周りが「大丈夫だよ」と言ってくれるから大丈夫でいられるだけで、20代~30代より相談することは増えたような気がする。強い面があるといっても元々強かったのではなく、生きている内に自然に強くなっていったということで、例えば自分の立場では考えられないことも「同じ様な立場になれば出来るようになるよ」と背中を押され、強くいられることもあった。耐え難い出来事が起こった時に人を支えるのは、経験や環境によって様々で、私自身のことを言えば人に助けてもらうだけでなく、日常で選び取ってきた美的価値みたいなものもあるのだと思う。いくら励まされても、最後に立ち上がらなければいけないのは結局自分だから、今まで見てきたものに対して価値を見出したり、生み出す作業をしていないと結構きつい。例え、その価値について下らないと考える人がいたとしても、本人にしてみれば人生観に繋がる大宇宙かもしれない。もしも誰かにそんな大宇宙があるのなら、語る言葉に出来るだけ耳を傾け、理解を示したいと思う。他人に踏み込まれたくない世界を邪険に扱ってはいけないのだ。ただ、分かっていても近ければ近いほど悪気は無いのに、忘れた頃にふとその領域に踏み込んでしまう瞬間があるのもまた事実。現実は教本通りにいかないのだ。

 近頃、見てきたものや選び取ってきたものをある程度捨てる方が楽になることもあるのかなと思ったりしている。最低でもその気概くらいは必要かなと。目に見えない奥底に潜む意識は、ウクライナの人々の精神に到底及びもせず比べられないけれど、ふとそんな前の同僚とのやり取りを思い出していた。

 大きめだったシナモンロールを頑張って最後まで口に運んだ。甘い物は少ないくらいが丁度いいのにちょっと食べ過ぎた。本当はこんな世界で今すぐにでも誰かに傍で「大丈夫だよ」と言って欲しい。たまにはこんな風に弱気になることもある。あるが、明日という1日は変わらずやってくるわけで出来ることをやっていくだけだろう。これからも勧善懲悪など無い世界を徹底的に見てやろうと思っている。

 

 

2022.3.17 記