lapin noir

Diary / Photo / Sapporo

ROOTS < 中島公園 >

 南14条橋から中島公園へと向かう北側の景色はそれほど変わっていないように思う。橋の下を流れる鴨々川は、豊平川の分岐点から始まって中島公園を通り、すすきの南部まで続く。カモカモガワという名称が可愛らしくて好きだ。中島公園西側は、細い曲線の流路沿いに紅葉が彩られ、季節になると鴨が憩う。ほっと和ませる景観に郷愁じみたものを抱いたりして、時折公園を抜けてこの鴨々川沿いを散歩する。
 市内にはこういった懐かしい趣を残す地区がある一方、市制施行100年を来年に控え、新幹線札幌開業や2030年冬季オリンピックの招致を見据え再整備の真っ只中でもある。中心部の札幌駅ー大通駅-すすきの-中島公園は、駅前通りで結ばれていて街の賑わいを創出する計画だ。けれども今年、中島公園北側に位置する札幌パークホテルの建替えと新MICE施設の整備計画は白紙になった。コロナ禍で需要に見通しが立たないからだ。再検討するらしいが、周辺の複合ビル建設に向けた動きは引き続きあるようで、どのように変化していくのかはまだわからない。

 あらためて思いおこせば、私が子供だった頃の中島公園内は違った。

 鴨々川から公園中央の菖蒲池へと繋がる川筋を境に向かって左側は「中島子供の国」(遊園地)で、右側に広場があった様に記憶している。現在は「中島子供の国」の跡地に「Kitara」が建つ。

 毎年5月頃になると中島公園では「さっぽろ園芸市」が開催され、私は幼い頃から家族と一緒にここへ来ていた。家は造園業を営んでいた。家族が仕事している間、私は自転車に乗って遊んでいたが「中島子供の国」にあった「ループ&コーク」という宙返りするジェットコースターのことが気になって、いつも様子を見ていた。ゆっくり最上部へ上っていくドキドキ感と、一気に落ち、宙返りへと向かう間で発せられる悲鳴を聞きながら、自分も一緒に乗っていた様な感覚だったのだろうか。

 当時の園芸市は、参加する造園業者が多く規模は大きかった。公園内の広場で開催され区画に分かれて出店する。祖母は期間中、毎日植木を売った。よく売れたのはエックスバリー、アメリカンハナミズキ、バラなどで、大きな松も庭木としてたまに出たみたいだ。週末は忙しいので、日常の仕事とは別に母や他の家族も手伝いにきた。植木が並ぶスペースの奥に休憩小屋があり、うちはソファー、テーブル、火鉢、荷物を置いた。大人3人が入っても程良い居心地でいられる空間だった。お昼には「はちわか」のお弁当を食べ、火鉢で温まった。信楽焼の大きな丸火鉢は、仕入れ時に本州で買い付けたもので貫入地に絵柄が入っている。絵柄は植物のシダの様に見えるが、いま見ても結局なんだかよく分からない。火箸で炭をつまみながら火加減を調整し、五徳にやかんを乗せ、湯を沸かしたのが懐かしい。夕方の終業後に炭火を消すのは何故か私の役目だった。5月と言っても北海道の春は寒い。「寒いねえ」と口癖の様に言っていた祖母を思い出す。私もここ数年は春の寒さに参っている。冬より寒く感じて、春の寒さが身に染みる年になってしまった。

 その丸火鉢や会社で使っていた花台は、現在の自宅へ引っ越しても大切に持ってきた。植木鉢や花台は最近だとプラスチック製の軽量タイプやアンティーク系が主流の中、陶器はやっぱり素敵だなと思う。丸火鉢については、中の灰は全部捨てて親戚から貰ったスパティフィラムを鉢ごと入れている。私はそんなに手をかけないので葉が変色してしまうが、年に2度くらいは白い花を咲かせてくれる。

 祖母は21年前に他界、明治に初めた家業は母の代でやめた。

 丸火鉢はいつも目に届くリビングの南側に置いてあるが、それを見るたび瞼の裏に浮かぶ情景というのは決まって花冷えの園芸市だ。小屋の中で嗅ぐ土の匂いと木製格子戸のガラス越しには、外で働く家族の背中があった。私が抱く安堵とか安心の根っこというのは、それらと共に感じた炭火の柔らかい温度感ではないだろうか。鴨々川を散歩しながら、そんな事をぼんやりと考えていた。

 

2021.11.10 記